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吉田秀和『名曲の楽しみ モーツァルト 2』読後感 [その他]

吉田秀和『名曲の楽しみ モーツァルト 2』を借りてきた。
その読後感を書く。

1772年からの話なので、16歳くらいからのモーツアルト。
まだまだ有名な曲は少ないが、個性が花開いていく過程を取り上げている。

いくつか、面白い記述があったので、引用しておく。

まず、モーツァルトの弦楽四重奏の話。
僕はいつか、素人の仲間同士で弦楽四重奏をやっている連中の話を聞いたことがありまして、「どうしてあなたがたはモーツァルトの弦楽四重奏、ことに若い時の四重奏曲をあまりやらないんだ?」と言いましたら、その人は音楽の歴史家でも何でもないわけだけど、こう言っていましたね。  モーツァルトの弦楽四重奏曲は、一人一人、自分たちのパートを弾いている時にはそんなに難しいと思わない。だけど、四人で合わせることになったら何か難しい、合いにくいんですって。それで非常に苦労して苦労して、きちっと合うようにして弾いてみると、またちっともおもしろくない。


そして、ハイドン。
ハイドンのカルテットには一人一人のパートに、何回も何回も練習しなきゃ楽器に乗りにくいようなところがある。だけどそこのところだけ気をつけてよく弾いて、四人が顔を合わせてやってみると、はじめからピタッといく。それはハイドンの若い時の四重奏曲から、ずっと年をとっての傑作にいたるまで、ずっと同じだって言うんですよ。弦楽四重奏を弾く喜びというかね、そこに実にうまく乗るように書かれている。それでつい、同じように弾くのならハイドンのほうをやっちゃう。家でゴシゴシーーゴシゴシと言っちゃ悪いけどーー練習していくと、四人で合った時、本当に音楽を楽しむことができる。


モーツァルトの話に戻って。
モーツァルトはさっき言ったように、一人一人でやる時はそんなに苦労しないので「まあ、これだけできればいいだろう」と思って、四人でやってみると今度は合わなくて、もう苦心惨憺する。やってみて苦労しただけの出来になるかというと「そういう風にえんそうしたんじゃだめで、もっと違う演奏の仕方があるんじゃないかな」と思わせられちゃうっていうんですね。だから苦労したわりに欲求不満になっちゃう。


で、ベートーヴェンは個人で練習しても合わせても難しいとの由。

ハイドンをやってみたいな。
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