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吉田秀和『名曲の楽しみ モーツァルト 4』を続けて読む。

吉田秀和『名曲の楽しみ モーツァルト 4』を続けて読む。名作が多数ならぶ。

『フィガロの結婚』を中心にして書かれている。
このオペラの中の「自分が自分でわからない」について。
アレグロ・ヴィヴァーチェの、まるで風のように来て嵐のように去っていくという歌のくせに、一度聞くと絶対に忘れることのできない、そういう歌ですね。全曲を通じても屈指の名曲でしょう。


それと、次の箇所が面白かった。
モーツァルトのオペラにおけるフィナーレというのは非常に大きな役目を持っていまして、音楽がずっと続いていて、その中でいろんなことが起こる。これはモーツァルトのオペラのひとつの特徴で、それ以前のオペラというものは、歌があるとそれは大抵「私は誰々が好きだ」とか「とても苦しい」とかいろんなことを言う。その間は劇の進行が止まっているわけです。ところがモーツァルトの書いたオペラは、事件がどんどん流れるように、とんとん拍子で運んでいく。その間それが音楽になって流れていく。逆に言うと、音楽は事件を運びながら流れていく。それがしかも短い音楽じゃなくて、何十分にわたるような音楽が、ずーっと持続して書かれる。それが特にこのフィナーレにあるわけです。


この「フィガロの結婚」の第二幕のフィナーレというのも、その典型的なもので、九三七小節という大変な長さの音楽になっていて、その間にどんどんいろんなものが出てくるのに応じて、音楽も変わっていく。「よくもこんなに何でも音楽で書けたものだ」と思って感心しますねえ、僕は。


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