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吉田秀和『名曲の楽しみ モーツァルト 5』を続けて読む。 [その他]

吉田秀和『名曲の楽しみ モーツァルト 5』を続けて読む。

とうとうモーツァルトの人生も終わった。
この本の中にも疲弊した影が見られて哀しい。

モーツアルトは金策のために、半端仕事にも手を出す。
かなりたくさんの、いわばその場限りの書き捨てみたいな踊りの曲を書くことになります。


(モーツアルトは)一人で寒いところで、貴族たちが踊る余興のための音楽を書いていたのかなあと想像すると、何か言い知れない感慨がわいてきます。

「六つのドイツ舞曲」(k.536)について。
まあ中にはきれいなところもあるけど、誕生日にこれを書いているモーツアルトがそんなに楽しかったかどうか、僕にはわかりません。

晩年の作品の分析をいくつか引用する。
まず、モーツアルトの弦楽四重奏の特徴分析。

モーツァルトがこの年、弦楽五重奏を急にまたやり出した理由はよくわからないんですけど、やってみた結果から言うと、モーツァルトの弦楽ばかりの室内楽の中では、弦楽四重奏よりもむしろ五重奏のほうが成功したんじゃないかと言う人があり、僕もそんな感じがいたしますね。というのは、四重奏曲だとハイドン流の非常に緊密な合奏と言いますか、上の音から下の音まで全部、音の質が緊密にそろっていて、それこそ水のもれる隙間もないような、緊密な組み合わせの美しさが特徴になっている。


そして、五重奏の特徴分析。
けれどもモーツァルトの行き方は、そういう構成的なきちっとしたものもできないわけじゃないけど、そこからちょっと外れて、集まったところと、隙間って言っちゃ悪いけど、非常に風通しのよいところとが交代に出てきて、全体に旋律の美しさが、まるで風が通うように出てくる。そういうモーツァルトの天才の自然な表われということになると、きちんとしたものからもう一歩どこか外れたと言うか、踏み出したと言うか、そういう編成のほうが成功しやすかったんじゃなかったか。弦楽五重奏はそれにあたったんじゃなかろうか。あとでクラリネット五重奏曲とかいろんなものが出てきますけど、そういうものもまたよかったんじゃないか、まあこんな風に僕は思うんです。


図書館から借りて読んだけど、買おう。

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